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-- ベイタウン旅行倶楽部 --


私の故郷、ちょっとさびれてゆくのが悲しい、歴史的な港町、それは木更津。




千葉県木更津市。
国道16号線を幕張からだいたい40kmくらい東京湾沿いに南下する。あるいは、京葉線、内房線を乗り継いで約50分。京葉線直通の快速君津行きだと40分くらいか。人口約12万人。南房総では一番大きな市町村である。
鎌倉時代に、既に港町として栄えていた。その名残として、かまくら道という道路や、鎌足という知名もある。江戸時代にもまだ港町としての機能に加え、遊興の町としても栄えていたという。歌舞伎や歌でお馴染みの「与三郎とお富」もここが舞台。明治時代には、木更津県であり、県庁所在地であった。木更津は、南房総最大の都市であり、そして木大きな商圏の中心地であった。

<写真上>暮れなずむ木更津港。(2003年2月撮影)
小雨降る寒い日曜日の夕方。私はカメラを持って木更津の港に行ってみた。かつてのフェリーの発着場あたりから対岸を撮影。心なしか街の灯りが少ないような気がする。

<文章一部改訂:木更津市の人口が約5万人となっておりましたが、現在は12万人だそうです。>
KMuratsubaki様ご指摘ありがとうございました。 2007/5/29




<写真上>同日、ほぼ同じ場所からの撮影。最盛期に比べると、明らかに船の数は少ない。




<写真上>同日、ほぼ同じ場所からの撮影。レジャーボートも以前は多かった。バブルの頃、東京辺りのちょっとお金持ちは、レジャーボートを木更津辺りに繋留し、休日になるとここから外洋に向って出航していた。



夕刻ともなると、木更津にはクルマが溢れた。南房総各地へドライブに出掛けた人々は、陸路のほかに、木更津港から出航するフェリーボートに乗り、川崎港に向う。クルマごと船に乗る、というのは、なかなか画期的なことだった。そういえば、明石屋さんま、大竹しのぶ共演の「男女7人恋物語」のロケにも使われていた。あの頃は、ドラマを観た若者が単にフェリーに乗るためだけに木更津を訪れていたらしい。その名物(?)のフェリーが無くなってしまったのは残念。

<写真上・左>フェリー発着所近辺で唯一残った土産の店。ここは厚生水産という比較的しっかりした会社が経営している。しかし、周囲は空き地だらけ。


<写真上・左>木更津の若者のデートスポット。夜中でも木更津大橋は渡ることが出きるので、対岸の川崎・横浜方面の街の灯かりや、行き交う船を見ながら恋を語る、っていうのは、"以前は"トレンドであった。


 ここまで、最新追加記事 
 以下、2002年までの記事


尚、このページは、2000年に作成後、2001年、2002年、2003年と写真や記事を追加しておりますので、内容の重複や、ストーリーの前後している個所もあります。予めご了解ください。





木更津の観光の目玉と言えば、ここ。潮干狩りには、この橋を渡り、写真の右側の人工の島に行く。かつては、この下をフェリーが通り、橋の上には、多くの観光客が行き来した。大きな期待を背負った念願のアクアラインが通過したのは、良いけれど、木更津は通過点になってしまった。




ここが、カーフェリーの発着場所。今は当然のことながら使われていない。フェリーが就航していた時には、手前に大きな待合室を兼ねたみやげ物屋が2つあった。カーフェリーは、川崎行きの日本カーフェリー、横浜行きの東京湾カーフェリーの2社が運営に当たっていた。




鎌倉時代から栄えた港だったという。現在は土石等の運搬がメインの準工業港。だが、扱い量は年々低下している。


木更津市が一年で最も輝くとき、それは「港まつり」だ。8月15日には盛大に花火も上がる。ここは、その一等席。例の島が打ち上げ場所だ。橋に仕掛けたナイアガラも見事。

しかし、年々花火のスポンサーも蹴り、懐が寂しくなったお陰で、花火大会の継続もなかなか難しいのだそうだ。

写真は8月16日早朝に撮影。虚しく提灯がひとつ取り残されていたが、他の全ては撤去されていた。街の中も、大量に積み重なったゴミの山以外に祭の余韻を感じさせない。

8月16日の木更津は、淡々といつもの通りの街に戻っていた。

8月15日の「港まつり花火大会」。
水上花火や、仕掛花火もあり、豪華。尺玉をはじめ、連続で打ち上げられるスターマインは、県内でも1級品とか。しかし、近年は他の地で盛大にやっているので、量的なものでは物足りなさもあるかも。私はいいと思ってますがね。
毎年、県の内外から観客が大勢訪れる。
(2002年8月15日撮影)

木更津駅前(西口)にどどーんと聳え立つ「そごう」。看板はそのままだけど、2000年11月に閉店となった。木更津の玄関口として、顔として重要な役割を果たしていたので、残念だった。

現在は、テナントビルとして再スタートした。テナントには、100円ショップのダイソーや、地元系の商店が入っている。ただ、集客は芳しくない。前市長は、このビルの再生に心血を注いでいたものの、別の問題で失脚した。

それでも、ここは木更津の一等地には違いない。なんとか頑張ってほしいものだ。それは木更津市民全員の願いだ。



(2000年撮影)
<左>今は無きダイエーのあった木更津東口商店街。今、ダイエーは一旦閉鎖になった後、オワリヤという地元系のスーパーに生まれ変わった。

ダイエーの以前には、Dマートも撤退した。今(2002年8月)は、その建物さえも壊している。もうすぐ跡形も無くなってしまう。

<右>木更津駅西口。この駅舎が出来た当時は、立派な建物だなあ、なんて眺めていたのだが、もうすっかり古びてしまった。

<右下>木更津駅は、久留里線の始発駅でもある。久留里線は、未だにディーゼル車。郷愁を誘う。



遊興街だった木更津

昭和のはじめから40年頃までは、県内でも有数の遊興街だった。当然のことながら、旅館や飲食店が多かったし、夕刻になると、浴衣を着た酔客と歩く芸者さんも良く見かけた。また、海が近いので、うまい魚料理を出す店もあった。東京辺りからも房総西線(現・内房線)の蒸気機関車に乗って木更津に来て、江戸前の寿司を食うのが、ちょっとした「粋」であったようだ。歌舞伎の「切られの与三郎」に登場するお富さん(その後、春日八郎の歌でヒットする。)も人気に一役買っていた。

<右>證誠寺の脇を流れる矢那川。
この場所、この風景が最も昔の木更津を残している。河口に近いので、潮の満ち引きで流れの方向や、水面が上下する。鯉、ハゼ、ボラなどが同居していて、泳いでいる様も良く見える。右手のこんもりした森は證誠寺。この近辺には老舗の観月荘や、木更津温泉ホテルなどの旅館がある。空気の澄んだ日には、向こう川の橋の上に遠く富士山も見える。昭和のはじめ頃は、今よりもずっと富士山が良く見えたに違いない。

有名な「證誠寺の狸」をイメージしたお茶の綱島園の看板。というか、建物自体にペイントしてある。なかなかいい雰囲気の狸なのだが、どうもモデルは、信楽焼きのそれである。

右は、緑に覆われた證誠寺の境内。まさに童話の世界である。

今では大きなビル(そごう)の陰にひっそりと、というイメージでしかない八幡様。ここのお祭は、大きな神輿が出ることで有名。大きさ自体は、浅草の三社祭の神輿と変わらない。

向かって右側の細い路地は、かつて木更津で唯一の繁華街であった。そごうのアインスビルがオープンするまでは「みまち通り」と呼ばれていた。

南房総の玄関口でもあり、千葉県南部随一の商業都市であった木更津は、近辺から、外房総からも何時間も汽車に揺られ買い物客が集まってきた。昭和40年代は、十字屋、サカモトの大型スーパーと、「みまち通り」の尾張屋が、3大勢力だった。

八幡様からほど近いところにある小さな社。弁天様である。(左)
この神社のシンボルは、亀。御手洗場では、亀の口から水が噴出している。(下)

ご覧のとおり、境内の約半分の面積を占める池には、無数の亀が泳ぎまくっている。従って、子ども達に人気のスポット。同居している金魚は、肩身が狭そうだ。(笑)

与三郎の墓のある寺

与三郎は実在の人物なのかどうか知らないが、歌舞伎によると、全身88ヶ所を切られ、木更津の海に放り込まれたという。

「しがねえ恋の情けが仇。命の綱が切れたのを、どうとりとめてか木更津の・・・」
「やさ、お富。久しぶりだなあ。」
これが、歌舞伎の名調子。

因みに同寺は、木更津駅西口から徒歩3分のところにある。私の高校の友人で、24歳の時にバイクで命を落としたトシヤもここに眠る。

メインストリート 富士見通り

木更津駅の西口からまっすぐ海に延びる通り。昭和50年頃までは港で行き止まりだったが、その後埋立地に渡る橋が出来て、富津方面へ抜けられるようになった。
しかし、この道は、木更津のもうひとつの玄関だったフェリーボートの発着所と駅を結ぶ重要なルートであったとともに、名前のとおり、富士を望む観光名所でもあった。そもそも木更津は、駅より海側が発展していたので、国道127号線以外にまともな道路はここしかなかった。

かつては、ひっきりなしに人が歩いていた。東京以外で私の知っている唯一の都会だった。この通りに面していた十字屋もサカモトも今は無い。

本町通りと中央通り

前述の富士見通りと約200m間隔をおいて、ほぼ平行して走っている中央通り。やはり港に続いている。交差して南北に走るもうひとつのメインストリートが本町通り。この近辺にも呉服屋、魚屋、海産物問屋などの老舗が並んでいたが、いつの間にか撤退して、今や静かな町並みになってしまった。本町通りに本店を持つ、桶仙(オケセン)という靴屋は、東口にも進出し、リーガル専門店も併設するなど羽振りが良かったものの一昨年倒産してしまった。古くからなじみのある店が無くなってしまうのは寂しいことだ。


矢那川沿いの桜

今年は、観測史上もっとも早く桜が咲いたという。右の写真も3月21日時点で撮影したもの。この時、既に散り始めていた。
この桜は、比較的新しいもので、昭和40年頃までは、この辺り一帯は、民家も殆ど無く、木もまばらだった。そして、写真右の辺りに火葬場があり、その前に欄干の無い木製の橋が架かっていたのを記憶している。
(2002年3月撮影)

この場所は先ほどの矢那川の写真の場所からおおよそ2キロメートル上流の場所。この辺りまではさすがにボラがさかのぼってはこない。しかし、大型の鯉が悠々と泳ぐのが見え、足を止める人も多い。

君津中央病院

山の上にひっそりと建つ病院。といっても、君津郡市では一番大きな病院だ。私の父も癌で闘病し、そしてここで生涯を終えた。実は、この写真の左手奥に新病棟が建築中である。中央下に3人の作業着を着た人間がいる。もちろん、工事関係者。

新病棟は、とにかくでかい。今までの2倍くらいの規模があるのではないだろうか。病院が大きくなってゆくことは悪いことではないのだが、商工業の落ち込みに反比例しているようで、なんとなくすっきりしない。
(2002/04/13)

木更津高校前の通り

なんでもない田舎の通りだが、我々にとっては思い入れのある通り。この道の突き当たりは海だ。少年の頃、この道を通って木更津港近くのプールに行った。

通常学校の近くだったら、もっと栄えてもいいようなもんだ。ところが、少なくとも30年の間、劇的な変化は起きていない。手前の「パンチャンフード」と書かれた惣菜屋が出来たくらいか。最近になって、コンビニがようやくオープンした。(2002/04/13)

街なかに残る廃屋

こちらも木更津高校のすぐ近くなのだが、こんもりした森の中に佇む廃屋。別にオーナが夜逃げしたわけではない。だが、こうした誰も住んでいない家が多くなったような気がする。古い一戸建ての貸家など、比較的駅に近いところでも目立つ。それから、空き地。バブルの頃、せっせと田畑を埋め立てし、住宅用地にしたのは良いが、いつの間にか砂埃の舞う駐車場兼資材置き場になっている。あるいは、草ぼうぼうの荒地のどちらかだ。

平日昼間の木更津駅・東口
実質的には、木更津の中心部となった東口の商店街。ダイエー閉店後はシャッター通りなどと揶揄されたりしていたが、商店会も必死で再生を賭ける。この撮影の日(2002年5月14日)は、平日だった為、両側4車線の大通りはご覧のように殆ど人通りも無く、車も走っていなかった。写真中央の看板は、元ダイエーのビル。


「あかちょうちん」と「房洋堂」

駅西口の弁天神社の近くにあり人気を誇っていた「あかちょうちん」は、今でも健在。東口店(写真)も連日大盛況。今から15〜6年前には、私が木更津に戻ると必ずといっていいほど、ここに寄った。魚料理がうまい。その隣にそびえるのは、房洋堂。菜の花まんじゅうがお薦め。(ネーミングがあっているかどうか分からない。)菜の花に見立てたカスタードクリーム??がなんともいえない。卵黄の風味を出したところは、あの銘菓「萩の月」を彷彿させる。

太田山公園と「恋の森」

全国どこにでもありそうなヤマトタケルノミコトの伝説に基づいた公園。標高50mにも満たないような小さな山だが、市民の憩いの場であり、電車から見えると古里の山という感慨深いものがある。頂上近辺には、約17〜8年前??に建てられたモニュメント兼展望台があり、晴れた日には富士山や東京、横浜の景色も見渡せる。この山の頂上付近は恋の森と言われ、前述のヤマトタケルが、東京湾に身を投げたオトタチバナ姫を偲んでいたとされる。

橘通り

現在の東口駅前通りが出来るまでは、ここが駅前通りだった。中央に見える山は、太田山。この手前で旧国道127号線にぶつかる。今は、バイパスが太田山の向こう側を通り、市内への車の流入も少なくなったので、この橘通りも閑散としている。橘通りの由来は、もちろん、前出の「オトタチバナ姫」なのだろう。しかし、古代のロマンとは裏腹に、この道はそういった風情もなく、殺風景きわまりない。この通りに面した大きな榎本病院(手前右手)も今は廃屋になっている。


撮影:2002年5月14日

このページは、写真・記事を途中で3段階に追加した為にストーリーが前後している個所もありますが、ご容赦ください。

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[追加記事]
上の写真は2004年頃のものだろうか。場所は木更津高校の前。左のほうにマンションが見える。1997〜8年頃建ったと思う。センターよりやや右に白く光った看板が見える。「牛角」だ。狂牛病のニュースが盛んだった前に一回行った。その斜め前辺りにもう1軒焼肉屋があった。人気店だった。現在(2007年)は無い。その焼肉屋で殺人事件が起きた。殺されたのはその店の従業員。犯人は経営者(女性)だった。あれから2年くらい経っただろうか。諸行無常である。

2002年制作 /// 最終更新:2007/5/29


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