イタウン旅行倶楽部
昆陽神社
混陽といえば、サツマイモの青木昆陽先生のことなのだ




青木昆陽(あおき こんよう
元禄11年5月12日(1698年6月19日) - 明和6年10月12日(1769年11月9日))は、江戸時代中期の儒学者、蘭学者である。
(2006/5/25 出典:Wikipedia)

青木昆陽は、サツマイモの栽培を研究していて、現在の千葉市花見川区幕張で始めて試作に成功した といわれている。1735年の ことである。 そのサツマイモのおかげで 当時貧困にあえいでいた農民を飢え から救ったのだ。享保の改革の頃である。

・・・と、どこかのサイトに書いてあった 。

まあ、青木昆陽という人物を知らなくても混陽神社のことを知っている、という人が幕張には多い。最近、開かずの踏み切りだった京成幕張駅横の踏み切りが無くなって、その下を広い道が走るようになった。実は、昆陽神社というのは、その地下トンネルの真上にあって、長い期間工事の為に神社が一時的に避難していたのである。だから、昆陽神社はどこだ、どこだ、と探し回っていても見つからないわけで、最近まで子守神社のことを昆陽神社だと思っていた方も多い。実は私もベイタウンに引っ越してきたときはそう思っていた。

さて、昆陽神社であるが、現在まだ工事中である。従って境内には入れない。でも、木も一本も無いし、フェンスも無いので、上の写真のようによく見える。木が一本も無い神社ってあんまり見たことがないので新鮮かも。殺風景と言えばそうなんだけど。

写真の石造りの鳥居には、なんと「秋葉神社」と書いてある。ありゃりゃ、間違ったかな、と思ったら、脇の小さい鳥居に「昆陽神社」と書いてあった。即ち本当は秋葉神社なのだけど、俗称というか、神社ネーム(?)というか分からないが、それが「昆陽神社」なのだろう。なんか、ややこしい。



こちらの入り口の小さいほうの鳥居には昆陽神社と書かれている。建物(社殿)の向きがこちらを向いているので、ここが正面玄関のような気もするけど、入り口も狭いし、鳥居も小さいので、やはりサブ的な扱いなのだろう。いったい、こういうコンセプトというか基準って、どうやって決めているのだろうか。神社デザイナーみたいな方がいるのか。なんか宮大工というのも違うような気がするし。

あ、そうだ。それ以前に、昔の昆陽神社を私は知らないや。ひょっとすると、レイアウトなどは昔の神社を再現しているのでしょうかねえ。

ま、いずれにしても昆陽神社といえば幕張、幕張といえば昆陽神社というくらいなので、是非とも行ってみよう。って、いつ完成するんだろうね。



さて、ここからは近辺をチェック。左の写真は、昆陽地下道へ降りるエレベーター。ここを降りて、そして、線路の向こう側でまた昇ることで、結果的に線路を渡れることになるのだ。便利なんだか、不便なんだか。あ、便利か、やっぱ。このエレベーターの右脇の道が、かつての踏み切りだったのである。たまたま電車が走ってきている。それから、このエレベーターの左手が、昆陽神社の境内。右の写真は昆陽神社の下を通る昆陽地下道。



かつての踏み切りの写真。越後屋さんご提供。開かずの踏み切りだった。



昆陽神社の近辺商店街。左は、豆腐屋。幕張銀座商栄会にあり。中央はその幕張銀座の路地。右は幕張公民館。この近辺のネーミングは、「幕張小学校」、「幕張中学校」、「幕張公園」など、「幕張」とつくのが多い。いや、当たり前のようでいて、なかなか単刀直入で幕張と名乗っているのは却って珍しい。そう、中央の写真の左側のサントリーオールドの看板のお店は、「幕張食品」という。

(2006/5/24 Zaki)

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