「俺たち2」管理人による戯言
日記でもない、コラムでもない、単なる戯言。そんな感じ。
筆者は幕張ベイタウン在住のおやじ。結構、歳いってます。はい。
しばざ記
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富津岬
雨の土曜日、夕刻から富津岬へ行く。
(写真上:雨が上がったばかりの富津岬の展望台)


野暮用で実家(木更津)へ行く。着いたときには土砂降り。しかも、雷まで鳴っていた。最悪。夕刻、小雨の中、散歩がてら高蔵寺へ。大きなイチョウの木があって、その下にギンナンがたくさん落ちているからと、老母がねだるので連れていった。残念ながらギンナンはまだ木になっている状態。ひとつも落ちていない。

実家に行ったものの、特段大事な用事でもないので、暇を持て余して、雨の中、傘を差して散歩。人通りは殆ど無い。遅い昼食に秋刀魚。これがまたうまかった。

高蔵寺は山奥にある立派な寺で、さすがに小雨の降る夕刻、誰もいなくて静かだった。
(写真はが暗くて申し訳ない。でも、本当に暗いのだ。)

それから、実家に戻り、テレビを少しだらだら観て、しかし、つまらないので、ちょっと暇つぶしに富津岬へ。

木更津から近いのに、ここ1年はあまり行ってなかった。国道16号を走るとどんどん暗くなっていった。いつの間にかもう5時近くなっていた。雨はやんでいた。青堀の漁港のところに巨大なクレーンが見えた。羽田空港の新滑走路(海の上に出来るのだ。)の巨大なブロックを吊り下げるためのクレーンである。滑走路のブロックは富津で造られ、羽田まで運ばれる。凄いスケールなので、富津方面に行かれる方は必見です。

その羽田の新滑走路は、以下に詳細あり。

http://www.pa.ktr.mlit.go.jp/haneda/haneda/


高蔵寺から木更津市街地へ下る道の両脇は上総アカデミアパーク。物凄い広い敷地に建物がパラパラ。空き地だらけ。いったいこの無駄なツケを誰が払っているのだろうか。当時バブルが弾けた、なんて言い訳が通用すると思ったら大きな間違い。バブル中でも、いったいあんな場所にペイの出来る施設が、と疑問の声が上がっていた。

ま、そうは言っても出来てしまったものはしょうがない。たまにドライブして楽しむしかない。雨の日は特に哀愁が漂っているし、ほかにクルマもあんまり走ってないので、いい感じ。


このクレーンがどれだけでかいかというのは実際に見ないと分からないと思う。とにかくでかい。でも、撮影の好ポイントがなかなか無かった(立ち入り禁止区域を除く)。これは、小糸川の河口の橋の上から。手前は青堀漁港。


羽田の新滑走路の完成予想図。
写真はここ(↓以下)から拝借。
http://www.enaa.or.jp/research/tyukaku/tour/index.html

富津で造っているブロック桟橋部(1,100m)に使われるのだ。ブロックと書いたが鋼製ジャケットというのが名称のようだ。



[ 追記 ]
ちょっと勘違いしていたようだ。巨大クレーン船が富津から運んでいたのは、若洲の東京港臨海大橋(仮称)の橋梁で、羽田の新滑走路のユニットは、なんと千葉市から運んでいた。つまり上のクレーンは橋梁を組み立てていたのだ。いずれにしても、東京湾が凄いことになっているのは間違いない。(下の絵はその東京港臨海大橋の完成予想図)


http://www.metro.tokyo.jp/INET/OSHIRASE/2005/08/20f8b600.htm
(東京港臨海大橋)

2009.10.15


青堀は青柳(通称バカガイ)が獲れることで有名。その青堀漁港から見る新日鉄君津製鉄所の溶鉱炉。こういう風景には強烈に哀愁を感じてしまう。


小糸川の河口。この風景は子どもの頃から親しんでいた。しかし、撮影したのは初めて。こんもりした山といい、ふもとにある神社といい、ちょっと古めかしい旅館や雑貨屋が旧道に並ぶ。この周辺は物凄く郷愁を感じるのだ。小糸川の上流には鹿野山や三島ダムがある。

そうだ。一度、未明の釣りに行くために船宿代わりにこの辺りの旅館に泊まったこともある。あれは確か静養園だったかな。夕刻、その近くの神社のお祭りにも行ったことがある。


富津岬の突端に到着したときには君津製鉄所の灯りがついていた。やや左側に溶鉱炉が見える。この景色も子どもの頃から数え切れないくらい何度も見ている。


展望台の上から。急速に晴れつつある東京湾。向こう側は三浦半島の久里浜辺り。晴れていれば、富士山も見える。

釣り人が最後の踏ん張り。もう暗くなってるよん!
向こうに見えるのは、かつて富津岬と繋がっていた第一海堡。
第二次世界大戦では、あそこに高射砲があって、東京湾に侵入してくるB29に迎撃していたのだが、如何せん弾の届く範囲の上をB29は飛んでいたらしく、当たらなかったという。


この(富津)展望台に昇るのは無料。とてもいい展望台なのだ。因みに明治百年記念展望台という名称である。明治百年ということは1969年ということか。すると、私が○○歳のときなんだな。なんかもっと前にあったような気がしたが、そうでもないんだ。でも、もう40年も経っているわけだ。数年前(確か2〜3年前に)、補修していたけれど、その前はとんでもなく老朽化していたのを覚えている。

この展望台が出来る前にも父の釣りに付き合ってよく来ていたので、展望台が無い富津岬も知っていた。ちょっと自慢。(自慢にはならないか。)

2009.10.3



[参考]

富津公園 〜 富津岬:http://baytown.dokkoisho.com/chiba2/futtsupark.htm
ベイタウン旅行倶楽部

富津岬(夕刻にぶらり):http://baytown.dokkoisho.com/chiba2/futtsupark02.htm
このページの転用

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[追記]

このページの写真なんぞをぺたぺた貼っているとき(いわゆるホームページをつくっているとき)、へんなことを思い出した。
あれは三十歳を少し越えた頃か。東京暮らしを終え、結婚するまで一時期、木更津の実家に身を寄せていた。木更津から職場へと通っていたのだ。週末には木更津の居酒屋とかスナックで飲んでいた。もうとっくに無くなってしまった行き着けのスナックには、美人のママがいた。一度土曜の夜、確か真夏の夜、私だけしか客が居ないのに、ママが今夜はずっと居ていいよと言ってくれたのでお言葉に甘えて朝まで飲んだ。少し明るくなった頃、ママが富津岬に行こうかと言い出した。その頃には私、泥酔状態。主体性が全然無くて、気がついたらママの運転する軽自動車に乗っていた。朝日がやたらに眩しかった。展望台の上でママが長い髪を風になびかせていたのが印象的だった。

2009.10.3



2009/10/3
しばざ記 736
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