張ベイタウン 俺達のホームページ
・このページは2003年10月に制作しました。
ベイタウン旅行倶楽部とは・・・
ベイタウン旅行倶楽部トップページ

千葉県東葛地区の中心地

鎌ヶ谷は梨の産地。それに、蕎麦の産地であるのはご存知?
幕張ベイタウン在住のシバとヒナが情緒たっぷりの鎌ヶ谷へ小旅行に出かけた。




左: 鎌ケ谷のあちこちに見られる風景。道路際のトタン張りの店舗で梨を販売している。
右上: やはり鎌ケ谷の代表的な風景である梨畑。手前側は道路、背後に住宅街がある。
右下: ネットに近づいて中を撮影した。最近、農作物を失敬する者がいるので、間違えられそうな感じ。
因みに、ここは既に収穫済みである。



秋の鎌ケ谷を歩く
今年の夏は短かったので、あっという間に秋になった気がする。
それでも、9月の前半には残暑があった。
夏に成虫になれなかった蝉が9月になってから本格的に鳴き始め、彼岸が過ぎて急に涼しくなったにも関わらず10月になった今でも短い命を惜しんで鳴いている。

鎌ケ谷は梨畑が点在する
10月2日、シバとヒナは鎌ケ谷にいた。久々に田舎の景色を満喫していた。北総台地の鎌ケ谷は千葉の北西部、いわゆる東葛地域の中心部に位置する。江戸から千葉街道を経て、米どころの木下まで続く木下(きおろし)街道の途中の宿場町だったと聞く。その辺りの話は我々は詳しくないので、是非他のホームページで調べて頂きたい。[鎌ケ谷市のホームページ]

鎌ケ谷と聞くと、まず思い浮かべるのが、梨。鎌ケ谷の梨は全国区で有名だ。鎌ケ谷の中心部から松戸方面にかけては、整備された新興住宅地や商店が立ち並ぶが、鎌ケ谷市役所の辺り、つまり中心から北部の千葉ニュータウンに隣接した地域には、至るところに梨畑がある。また、道路に面して、観光梨園や、梨の販売所がある。当然ながら10月は梨の季節である。休日だったら梨狩りの観光バスで賑わっていることだろう。

実は我々の目的は梨ではない。蕎麦である。鎌ケ谷のもうひとつの名物が蕎麦なのだ。いや、蕎麦の畑があるわけではない。風景的には、絶対に蕎麦の畑があってもおかしくない、のどかな感じだし、元々痩せた土地にでも立派に生きる蕎麦は、鎌ケ谷の台地にも適しているのではないかと思うのだが、原料の蕎麦粉は主に北海道から仕入れているらしい。そう、蕎麦の工場があるのだ。




左: 市制公園の入口。北総線のガード下が入口になっている。あまり目立たない。ワイシャツ姿の人物はシバ。
右: 入口脇にある展望台から。
公園というよりも、元々あった山林がそのまま、という感じ。
紅葉にはまだ早かったが、最盛期はさぞや綺麗なのだろう。この写真を撮っている反対側は北総線の高架。電車を眺めるのにもいいかも。

緑豊かな市制公園

その蕎麦の工場というのは、茂野製麺という会社が経営している。本社は新京成線の初富という駅から徒歩5分くらいのところにある。全国屈指の乾麺を製造する会社だ。我々は仕事の件で訪問することになっていた。が、その前に・・・会社のことは置いておき、ちょっと寄り道してみようと思った。幸い天気も良い。我々は、前日インターネットで調べた鎌ケ谷の名所旧跡を歩いてみたかった。鎌ケ谷には、たくさんの緑豊かな公園があるのだ。

まず最初に訪れたのが市制公園。大きな市の体育館に隣接しているが、入り口が分からなくて、トレーニング・ウエアに身を包んだおじさんに聞いてみた。おじさんは快く教えてくれたのだが、たいへん分かり難い入り口であった。どうやら、正規のアプローチではなかったようだ。梨畑の間だを抜けて、ぐるりと周り、やっと正面口に辿りついた。
市制公園は一言で言えば、落ち着いた、緑豊かな公園。少々地味な感じのするが、元々この辺りの原野をそのまま生かした公園なのだろう。あれこれと近代的な臭いがしないのが却って好感が持てる。もう10月だというのに、蝉が鳴いているのには驚いた。長い間地面にいて意を決して外に出た蝉も引っ込みがつかなかったのだろうか。とにかく、驚いた。

市制公園のもうひとつの特徴。それは、本物の飛行機とD51が置いてあることか。さながら交通公園のようでもある。飛行機のほうはかなり朽ちかけていて、ペンキも何度も塗り直されているのが、なんとなく哀愁が漂っていて、いい。

一方のD51は、もちろん古いが、比較的新しく感じる。それは、素材の耐久性の問題なのか。それにしてもD51を近くで見ると、改めてその迫力に驚かされる。また、この敷地内には50円で乗れるミニカーもあって、お子さん連れにはいいだろう。

右上: 50円で乗れるというのが嬉しい。しかもBMWだ。



左: 今にも走り出しそうなD51。
でも、実際近づいてみると、さすがに古くて、化石になりつつある。
今のこどもたちは本当に走っている蒸気機関車を見る機会が少ない。
右: D51の隣には不釣合いな飛行機が。
おそらく、近くに自衛隊があるので、買い取ったのか?
それにしても、こちらは完全に野ざらしなので、老朽化が激しい。
▲このページの先頭にジャンプ






写真左 新京成線の列車が停車する初富駅。
写真右: 右奥の小さな建物が初富駅の駅舎。どこかノスタルジックな馨りがする。

新京成・初富駅
市制公園を出て、初富方面に向かう。近辺にはやはり緑豊かな貝柄公園があり、大きな池があるので、一瞬寄ってみようかと思ったが、茂野製麺と、できれば欲張って鎌ケ谷大仏も寄ってみたかったので、先を急ぐ。新京成の初富から歩いてみる。駅前はほんの小さなスペースしかない。正面に立派な樅の大木があるが、誰も気にとめている様子は無い。古くから当たり前の景色なのだろう。

路肩が極端に狭い昔の道を東へ向かって歩いたところに、茂野製麺の本社工場がある。すぐ裏手が梨畑、その隣に大きなマンションが建つ。鎌ケ谷も段々開拓されて、いつしか普通のベッドタウンになってしまうのかと思うと少々寂しい。その中にあって、蕎麦造り半世紀以上続いている茂野製麺の本社工場は、伝統がにじみ出てくるような味わいがある。



写真左 駅前の売店と駅舎。
写真右: 駅前に、何故ここに?というくらいの樅の大木が・・・。ロータリーも無い小さい駅だかど、このシンボルツリーがランドマークになっている。


スーパーで並んでいる"そば"のブランド買いをする人は少ないと思うが、茂野の麺を確かめて買う人は案外多いのだ。
だから、国内屈指のブランドなのである。


茂野製麺は日本一を目指している
大きな看板があるにも関わらず、どちらかといえば、目立たない感じだ。それは、周囲に郊外型の派手なデコレーションをした大型店舗が並んでいるからか。いや、そうではない。逆に風景に溶け込んでいるのだ。鎌ケ谷の風景の一部になっている。そして、その存在は大きい。
現社長が鎌ケ谷に製麺業を起こして早や半世紀以上が経過している。ゆっくりと鎌ケ谷の土地に根付いて、そして、鎌ケ谷の代表的企業となった。今や全世界の10カ国以上へ「しげの」のブランドが輸出されているという。いやはや、素晴らしい。日本の生んだ、いや千葉県の生んだ伝統的な味が世界でも評価されているのだ。
ちょっと、誇らしげな気分になってしまう。



初富駅から5分ほど歩くとこの看板に出くわす。
ここが茂野製麺の本社工場。
写真の黄色い看板の中が直売所。
出来たての麺が買える。


もうすぐ新そばキャンペーンが始まる茂野製麺のホームページ


鎌ケ谷に"そば"の工場がある意義
工場の中に入った我々は、事務所に立ち寄り、ご挨拶。さっそく仕事の話をし、早々と帰路に・・・というわけはない。シバもヒナも大のそば好きなので、直売所へ寄った。お土産に何を買って帰ろうか、などと思いを巡らせていたところ、茂野専務(社長の実弟)が、やってきて、そばに関するウンチクを語ってくれた。"そば"の道は奥が深い。とてもうるさい人も多い。立派な手打ちセットを購入して、自分で打って食べるというのも静かなブームになっている。何故にこれほどまでに"そば"がもてはやされるかと言えば、そう簡単に美味しいものが出来ないのだそうだ。しかし一方で、きちんと心を込めて造れば、どんな"そば"でも美味しいですけどね、と茂野専務は言った。なるほど、言い換えれば、茂野の"そば"は真心がこもっている、という自信の表れなのだ。

今でこそ、鎌ケ谷の名物と言えば、梨と蕎麦(茂野製麺)というのは不自然ではないし、誰もが認めるところ。しかし、社長がこの土地で製麺業を始めた頃は、苦難の連続だったそうだ。同じような製品が並んでいると、鎌ケ谷産のものより信州産、東北産の"そば"を手にする。千葉の"そば"じゃねえ、と問屋さんにも言われたらしい。それが、社長の闘争心に火をつけた。明けても暮れても"そば"造りの研究に打ち込んだ。千葉産でもひとくち食べれば分かってもらえる。たったひとくち食べてみて、すぐに茂野製麺のファンになってしまうくらい美味しい"そば"を作ろう。それから、身を粉にして努力した甲斐あって、主力商品である「味川柳」が飛ぶように売れた。ユーザーの舌は確かなのだ。


写真左 工場の中央になんと神社がある。
いい麺が出来ますように、もっと売上がアップしますようにと、職人さんが手を合わせるそうだ。この日は新しい鳥居を設置し、赤いペンキを塗っていた。
写真右: 急遽、工場見学をさせてもらうことになり、わくわくしているヒナ。


原則として衛生管理上、一般の見学は受け付けておりません。団体見学ご希望の方は、事前にご相談ください。

茂野製麺株式会社 本 社 〒273-0123 千葉県鎌ヶ谷市南初富6-2-12
    電話 047(444)1351(代) FAX 047(445)3033
    Eメール:
info@shigeno.co.jp
▲このページの先頭にジャンプ





【写真左】 茂野製麺の代表的な"そば”「味川柳」。
【写真右】"そば"は季節で味が違う。


製麺工場の見学をさせて頂く
この日、たまたま地元の小学校の社会見学の日。授業の一環として、茂野製麺が協力しているのだ。茂野製麺はこのように、地元に愛されるメセナ活動も積極的にやっているらしい。で、あつかましく、シバとヒナも、ちょっとだけ便乗してもいいですか?と、茂野常務にお願いした。本来は、品質管理の問題があるので、お断りしているそうだが、特別に許可してもらった。初めて見る製麺工場とは?

白い帽子を被り、エアシャワーで外のホコリを十分落としてから、恐る恐る中に入る。不法侵入じゃないのに、なぜかビクビクしてしまう。これはクセなのかもしれない。

「やったっ!こりゃ、ラッキーだっ!」(シバ)

エアシャワー
いよいよ工場の中に入る。当然ながら、体を清めなくてはならない。
茂野製麺は、品質管理に特に拘っているので、入室時のチェックは厳しい。

「精密工場の中に入るみたいですね。」(ヒナ)

どうやって麺ができるか、詳細はこちらをクリックしてください。
茂野製麺のホームページより



写真左 原料をこねているところ。
大きなローターで良質のそば粉がゆっくり回転する。
今は新そばの季節。
当然ながら一年で一番おいしい時期なのである。
写真右: 熱心に質問する小学生たち。
工場のおじさんは、できるだけ分かりやすく、そして詳しく教えてくれる。




だらーっと垂れ下がっているのは出来たての麺。
この後、乾燥室へ。風味を損なわないようにゆっくりと乾燥される。



写真左 規定のサイズにカットされる麺。いよいよ最終工程。
写真中: 円筒形の不思議な機械は、「水分の検査機」だという。
歯ごたえ、微妙な腰は、ここで決まるのか?
写真右: 厳しい目で品質をチェックする。
この地味な仕事が茂野製麺の生命線だ。

意外に大きな工場で驚いた
なんせ半世紀にも渡って麺作りをしている会社だけに、歴史を感じる鎌ケ谷工場。中に入って驚いたのは、非常に清潔だったこと。床も壁もぴかぴかに磨かれている。食品を扱う会社だから当たり前なのだが、どうも、不精者の私(シバ)は、掃除するのが大変だろな、などとミョウな心配をしてしまう。きれいな工場だから、美味しい麺ができるのだろう。私ももうちょっと整理整頓が出来れば、いい仕事ができるのか、と猛省する。

ところで、工場は外からはどう見てもそれほど大きくないように見える。すぐ隣に大きなマンションが建ち、どうしても比較してしまうからだ。でも、中に入ると、意外に広い。麺を作るのには結構大きなスペースが必要なのだろう。また、裏手が梨畑で、なんとも面白い。鎌ケ谷の代表的な産業が意図的に並んでいるような感じ。

因みに、このツアーを終えて、家に戻り、直売所で買った"ざるそば"を食べてみた。なんとも言えない蕎麦の香りと、絶妙な歯ごたえ、つるつるとした喉越し、ほのかな甘さ、どれをとっても五つ星!まじで、美味かった。

茂野専務曰く、今はまさに"新そば"の季節。一年で一番美味しいときのそば粉で造り、そして風味が損なわれないように真心を込めて乾麺にする。いわば、乾麺は美味しさを閉じ込めてしまう魔法のような食品なのです。("新そば"の季節は9月中旬から11月下旬頃までです。)
▲このページの先頭にジャンプ




鎌ケ谷大仏はフレンドリー!?
生まれて初めて製麺所を見学して、たっぷりと"そば"に関するウンチクを学んだ我々の次に目指した場所は、鎌ケ谷大仏である。最寄の駅は鎌ケ谷大仏駅。駅から徒歩1分以内。つまりすぐそばにある。改札を出ると斜め前方に見えるのだ。

近づいて見ると、ますます立派なのだが・・・。
実は非常に小さい。資料によると、高さ1.8m。
うーん、なかなか庶民的だ??

房総の魅力500選

大仏の台座脇の銘板(文)には、以下のように記されている。
「この大仏は安永5年(1776)に鎌ケ谷宿の大国屋文右衛門が先祖供養のために江戸神田の鋳物師に鋳造させたものです。高さは1.8メートルあります。」(以下略)

1776年というと、今年が2003年だから227年前に建立されたということになる。つまり227年前から鎌ケ谷の人々の暮らし振りを眺めていたわけだ。なんともありがたい話じゃないか。しかし、あんまり眺めているのも飽きてしまうし、写真を撮って、きっちりと拝んでから、その場を後にした。

大仏様は、道路のすぐ脇、しかもまん前がバス停になっていて、バスに乗る人はいつでも大仏様を拝めるようになっている。これだけ素晴らしい大仏様でも毎日見ている人は、やっぱり飽きてしまうのか、実際にバス停に並んでいる人はまったく大仏様の方向を見ていなかった。あんまり意識していないのかな?
京都に住んでいる人間がお寺巡りをしなかったり、東京に住んでいる人間は東京タワーに行かないのと同じだろうか。

「それとは違うよ!」(ヒナ)

また、そこそこ交通量が多いので、排気ガスも大変だろう。大仏様もまさか227年経つと、世の中がこう変わってしまうなんて、ちっとも読めなかったはずだ。しかし、せめてあの道、路肩を広げるなりしてくれないと、ヒジョーに歩きにくい。

信心深い方もいらっしゃいますな。
と、思ったら、ヒナ氏であった。
この写真のように、人物が入るとその大きさがバレてしまう。
い、いや、決して大きさは問題でない。
風格は奈良の大仏、鎌倉の大仏に決してヒケをとらない。



大仏様の真正面、つまり道路の反対側は神社。
大仏様は、一年中この神社を見ているのだ。
素敵な神様がいるのかもしれない。


鎌ケ谷とは・・・
さて、いよいよこのツアーは終わりだ。その前に、我々の鎌ケ谷についての所感を・・・。

一言で言えば、中途半端な町というイメージだ。松戸のほうに向かう街道沿いは明るくきっちりと整備された道路もあるのだが、殆どが昔ながらの曲がりくねった路肩の少ししかない道。そこに大型バスやトラックを唸り声をあげて走りさってゆく。かつてから交通の要所だけあって、それは仕方ないのかもしれない。しかし、少し郊外に行くと、まったくの田舎。郷愁を誘うような風景がそこかしこで見られる。梨畑の広がる風景も同様。
しかしだ、ちょっと行くと新興住宅地だし、また少しゆけば、原野のようになっている。そういう感じで自然と人口的なものが交互に飛び出してくる、といった町なのだ。

だが、逆に言えば、割合い町のカラーが明確な隣接する松戸市、白井市、船橋市などと違って、なにがどこにあるのかはっきりとしない雑然としたところが鎌ケ谷の良さなのかもしれない。実際に地図で見ても、道がぐちゃぐちゃで、なにがなんだか分からない。だから、地図を持たないで、ぶらりと訪れてみたい。普段目にしないものを目撃できそうな、そんなミステリアスな部分もたくさんありそうで、わくわくする。


左: 鎌ケ谷大仏駅。名前が凄まじい。駅頭に立つと斜向かいに大仏様が見える。
右: 鎌ケ谷大仏すぐ脇を透る道。前方に標識が見えるが、あそこが鎌ケ谷大仏交差点。
▲このページの先頭にジャンプ





おまけ
さて、鎌ケ谷散策を十分楽しんだシバとヒナは、次に腹が減っていることに気付いた。そうだ。昼食がまだだった。慌てて、周囲を探す。鎌ケ谷大仏駅から鎌ケ谷大仏交差点を左折し、少し行くと、「ジョリーパスタ」の看板が目にとまった。
せっかく、蕎麦の工場を見学し、大仏を見た後に、スパゲティとは、ほんと、一貫性がない。ま、いいっか!(笑)
2003/10/4  Oretachi's Home Page


その後(鎌ヶ谷を歩く 2)] [鎌ヶ谷を歩く(3)] [鎌ヶ谷を歩く(ファイターズ球場)] [つけ麺の「目黒屋」


Oretachi's Homepage Makuhari