箱根は通算して何度行っただろうか。関東圏だったら日光と並ぶ観光地の王様であるが、日光が通算して10回程度に対して、その3倍くらいは訪れている筈だ。その理由は、まず、近いから。もうひとつは、富士山が見えるから、だと思う。今でこそ、休日にわざわざ遠出する機会は滅多になくなったが、若いときにバイクで、あるいはクルマで富士を見に行ったものだ。
箱根は便利である。高速道路の御殿場インターからも近いし、湘南のほうから箱根ターンパイクを利用しても行ける。電車だと、新宿から小田急に乗り、登山鉄道に乗り換え、そしてロープウエイという具合に駒ケ岳の山頂まで全部公共機関で行ける。宿泊施設も多いし、みやげ物やも多い。日光もそうだけど、きらびやかな感じがするというのも魅力のひとつなのかもしれない。
富士山を観る絶好のロケーションに加え、芦ノ湖、大涌谷、駒ケ岳、仙石原、それに関所跡、箱根神社など、見どころがたくさんある。これでもかという具合に日本の観光地を凝縮したような箱根の自然環境は素晴らしい。歴史的にも重要な役目をしている。しかし、悪くいえば極端に俗化している。自然を楽しみに行くというより、人工的なものを楽しみに行くようなイメージがある。
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職場の仲間達と訪れたときの箱根。
ここは関所跡だ。 |
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箱根の自然を馬鹿にしているわけではない。それに人工美との融合も悪くない。元箱根の辺りの旅館群を反対側から見た風景も素晴らしい。ふわふわっとした霧の中に霞んで建物がぼんやり見える様は、夢のような景色である。そして、その背後には大きな駒ケ岳がでんと構えている。多くの人は富士山の方向を見るが、反対側から駒ケ岳を望むのも勝るとも劣らない絶景なのだ。あるいは、誰もいない早朝の仙石原を歩くのも一興だ。芦ノ湖の周囲も人がいないと急に神秘的な風景になるから不思議。湖岸に繋いだ無数のボートでさえ、なにか大自然の中の小さな小さな儚い対象として見えてしまう。
が、しかし、メディアに露出し過ぎたせいもあるので、殆どが一度見た風景である。観光しているというより、テレビで観た芦ノ湖は実はこうだったとか、なるほど、本当にここから富士山が見えるわけだ、などと復習にいっているような感じだ。これはなにも箱根に限ったことではないけど、観光ガイドブックなどで十分予習してゆくと、わざわざ旅費を投じて確認しに行ってるようなものだ。
箱根には私が幼少だった頃には珍しい大型のホテルや旅館があって、特に箱根小涌園なんて、大きなプールもあって憧れの地でもあった。それから、一時、深夜の番組で必ずといってよいほど箱根彫刻の森美術館が映像で流れていた。ああいうのを毎日のように見ていると、ふとどこかへ行こうと思ったときに、つい箱根と考えてしまうのである。それに、私は小田急沿線に暮らしていたことがあり、休日なにもすることが無いとぶらっと電車に乗って箱根に行ってしまうのだ。もっともさすがにぶらっと行くのにはやや遠いので、丹沢辺りで下車することも多かったが。
二十代の前半のことだった。バイク仲間と二人で、三保の松原(静岡県)方面に日帰りでツーリングに行ったことがあった。春だったか夏だったか、あるいは秋だったかまったく覚えていない。高速道路をけちって帰りには東海道を使って都内に向かう。ちょうど箱根に差し掛かる頃が日没だった。薄暗くなってきたとき、箱根の外輪山のひとつ鞍掛山の鞍部である箱根峠から、遥か下に見える芦ノ湖を見た。もわ〜とした薄い霧が湖面全体を覆い幻想的だった。湖岸のホテルや旅館の小さな灯りも点々と見える。杉木立に途中阻まれながらも、段々湖面が近づいていた。辺りはもうすっかり暗くなり、山々の輪郭もおぼろげになってきた。
元箱根でバイクをとめて休憩した。体が冷えていたので、我々は自販機で缶コーヒーを買って飲んだ。辺りは人っ子ひとりいない。静か過ぎるくらい静かだ。時々、クルマが通りすぎ、静寂が壊れるが、しっとりした空気があっという間にエキゾーストノイズをかき消してしまう。何気なく、相棒が湖畔のほうへ歩いていった。つられるように私も後に続いた。杉の香りがどこからともなく漂ってくる。二人とも無言だった。しかし、とても幸福な孤独感を味わっていた。うまく説明できないけど、物凄く豊かな気持ちになっていた。
ほんの少しだけど、湖畔に佇み、小さく波打つ湖面を眺めてからバイクに戻る。すっかり冷えたバイクのエンジンはなかなか掛からない。燃料タンクやシートの上には霧のせいだろうか、しっとりと濡れていた。キックを諦めて、下り坂までバイクを押して、勢いでエンジンをスタートさせた。あとはどんどん下ってゆけばいい。深い闇の中に吸い込まれるように、二台のバイクは走った。
あのツーリングの途中で寄った箱根が、数多く箱根を訪れている中でも一番記憶に残っている。なぜだか分からない。不思議な気持ちだった。小学校の時の修学旅行が箱根だったし、二十代の頃にも社員旅行が箱根だった。その他、宴会だけの為にも訪れたことがあったし、彼女と一緒に来たこともあった。あ、一度ゴルフでも来たことがあったな。でも、その中で何故あのときの光景が忘れられないのか未だもってまったく不明である。 |