実は、昨日はやはり殆ど寝たきり状態で、夜になって爛々と目が冴え、横になったままHDDの中に入っている撮りだめした「観なきゃなんない映画」を少しずつ消化しようという軽い決意で、ぼーっとしながらも指先は極めて冷静にリモコンを操作していた。起き上がらなければ、調子が悪いことを忘れる状態にあった。日中は、横になっていても頭痛を感じていたし、バファリンを飲んでも痛みは治まらなかった。
ランダムに次々とタイトルを見ていると、殆どが未試聴になっている。目が止まったタイトルをクリックして約5分くらい試聴し、「なんだこりゃ、全然面白くない。」と思ったものを削除する。その繰り返しで、5〜6タイトルを削除。HDDの余白をつくるためにはどんどんこの手の作業をやってゆかないとな。残すものは、どんどんDVDに落としてゆかないとならない。本来はこういう作業を好きだった筈なのに、いつの間にか苦痛になっている。ビジネスでいうところのドキュメントのファイリング業務を連想させるからかもしれない。
で、結局、昨夜のスパイダーマンの裏でやっていた「黒部の太陽」を観た。CMをカットしても2時間×2、つまり4時間ものを一気に観たわけだ。それだけ長編だったら途中でいつの間にか眠ってしまうだろうという計算があった。はっきり言ってあんまり好きじゃない香取慎吾とユースケサンタマリアが主人公だし、余計に早く就寝出来そうだという意味も根底にあった。ところがこの3日間寝だめしたのが逆効果になって、一気に観てしまった。観終わったのは午前4時30分くらい。今朝の起床は6時半。つまり2時間しか寝てないのだが、全然眠くない。ひょっとして俺って寝だめが効くタイプなのかも。
これだけ寝ていたというのは二十代の頃の正月に、調子に乗って日本酒を浴びるように飲んで気絶し、一人暮らしのアパートの中で、二日酔い、三日酔いで起きられなくて、殆ど3日間寝ていた、あのとき以来かもしれない。あれは死ぬかと思った。今では大好きな日本酒が、約3年間匂いを嗅いだだけでも気持ち悪くなるくらいのトラウマになったほどだから、かなりの凄いことだったわけだ。急性アル中とはああいうのを言うのだろう。
で、話を「黒部の太陽」に移すと、なかなか良い作品だった。オリジナルの映画(主演:石原裕次郎)の映画があまりにも凄くて、それに比べると大したことはないだろうと舐めてかかっていた。そういう意味では嬉しい期待の裏切りだった。もっともオリジナルは40年前の作品だし、当時小学生の私がきちんとして記憶しているわけではないので簡単に比較するのは出来ない。それに石原裕次郎についてはスター性が演技力を大幅に上回っていて、私にすればどの作品も不満が残る。子ども心にそう思っていた。ま、でもそういうのも含めて嫌いではない。日本を代表する銀幕のスターであることは否定できない。
さて、今回の「黒部の太陽」を観たことで香取への好感度が若干上がったとはいえ、どうもあの顔は好きになれない。先に舞台版「黒部の太陽」の主役をやった中村獅童のほうが好き。香取も中村もどちらかと言えばコワモテで、主役を演じるに必要な条件なのだろう。特に、昨今はある程度ワルが潜んでいたほうが魅力的である。獅童は完全な三白眼、香取はどちらかと言えば、目は大きいものの、でも白目が多い。このことが二人をコワモテにしている原因かもしれない。それに比べると裕次郎は黒目がちで、それが昔のスターの重要な要素だった。
ストーリーの本筋からやや外れたことろで志田未来が登場してくる。彼女が遺した油絵がラストの黒部ダムの勇壮な景観に絡んでくるので、結果的には重要なキャスティングになる。彼女はなんかああいった暗い影がある少女を演じるのに適している。今まで私が見た彼女の役柄がみんなそんな感じ。どういう運命を辿る役柄かは見た瞬間に想像できてしまう。安達祐美がそうだったように、また、もっと古いところでは山口百恵がそうだったように、暗いイメージの付きまとう役者さんにはなってほしくない。それと暫く見ていなかった浅野ゆう子のビジュアルにはちょっと驚き。誰でも平等に齢は増えてゆくにしても、あまりにも老けたなと思った。私が単に彼女を暫く見ていなかっただけの話かもしれない。と、病み上がりで長々とテキストを打ってしまった。これからあちこちへ出かけなくてはならない。しんどい。
|