正月を猪苗代(会津)で過ごす ベイタウン旅行倶楽部


2006年の大晦日から2007年の1月2日、つまり正月を会津で迎える2泊3日の旅に出た。宿泊先は専用ゲレンデのある「リステル猪苗代」で、このホテルをベースに毎日ゲレンデで遊んだり、ホテルのプールで遊んだり、また、周辺に出かけたりした。1月1日の元旦には猪苗代湖から昇る初日の出も拝めた。温泉にもたっぷり入った。久々の泊りがけ旅行に満足、満足。


2006年12月31日

朝、7時にベイタウンを出発。8時に蓮田SAで義父母、義弟の2家族と合流。そして朝食。首都高も東北道も空いていてまずまずの出足。十分休息をとった後、福島方面に向かって更に東北道を北上する。帰省ラッシュはとうにピークを過ぎたと思われる。快調。那須を越え、阿武隈SAで2回目の休憩。この辺りで、前日か、あるいは一昨日辺りに降った雪が残っていた。また、少しだけだが、雪もちらついていた。いよいよ東北に来た、という実感を抱く。気温も4度とぐっと低くなる。

実は、今回の旅行は子ども達のスキーをメインに考えて計画されていただのだが、クリスマスの頃にはまったく雪が無く、正月までにスキー場が果たしてオープンするのかどうかが懸念されていた。しかし、運良く一昨日辺りに大雪だったという情報があった。スキーばかりでなく、雪の会津を想定している大人たちも雪が無かったら拍子抜けなので、この情報はかなり嬉しかった。一番上の写真をご覧のように、猪苗代は雪景色だった。

上の写真の左から2番目までは蓮田SA。右2つは阿武隈SA。(SA=サービスエリア)

白河を過ぎ、郡山から会津方向に分岐する磐越道に入る。徐々に標高が上がってゆく。五百川SAでは、完全に雪景色。昨日降ったばかりの雪があったので、子ども達はそこで遊んだ。気温は1度。天候は、まあ、まあ、晴れ。しかし、行く先はなんとなく分厚い雲が立ちふさがっているような感じ。



五百川SA。お昼前だからか、停車中のクルマは10台前後と、少なかった。

五百川からいくつかの長いトンネルを抜けると、そこは雪国だった。ってな川端康成の小説みたいだけど、本当にそんな感じ。猪苗代磐梯高原インターチェンジで一般道に降りると、チェーン無しでは走れなくなるので、途中でひと仕事。義弟のクルマはちゃんとそれ用のタイヤが。む、む、差をつけられた。一面の雪原の中の一本道をちょっと後戻りするような感じで山を登り直すとホテルリステルに到着する。到着はほぼ正午頃だったと思う。かなりでかいホテルだ。雪がへばりついた唐松林の駐車場にクルマを停める。


▲ホテル・リステル猪苗代(HPより)

到着したときの天候は曇り。気温は1〜2度くらいか。フロントはチェックインする宿泊客で賑わっている。本来ならば午後2時くらいのチェックインだったが、早めにチェックインさせてもらって、荷物を部屋に運び、館内探検。ゲレンデはホテルのまん前なので、ゲレンデにも行ってみる。そして、食事。一旦、部屋に戻って皆で乾杯。私は、この周辺も色々見て回りたかったのと、前日、前々日とずっと飲み続けていたので、アルコールを控えていたのだが、周囲がビールを飲み始めたので、連られて飲んでしまった。

>>> ホテル・リステル猪苗代 Web Site



左:森の中の駐車場  右:駐車場から見たホテル。

12階の部屋は洋室と和室がドッキングしたような感じ。いわゆる次の間(スイートルーム)があり、広くてゆったりとできる。そして眺望は素晴らしい。猪苗代湖がほぼ全部見渡せる。漫画チックに描かれた赤ベコのキャラクター入りの磐越西線が雪原を走る様も見える。



部屋からの景観正面に猪苗代湖が見えるのだが、この日はちょっとガスがかかっていて分かり難い。写真のほぼ中央の広場にぽつぽつと何かあるのは、十二支の像。ここもホテルの敷地だ。後で近くまで見に行こうと思ってたら、とうとう行きそびれてしまった。



部屋の窓からの景色。外は氷点下に気温が下がっていた。



左:義父母の部屋から見るゲレンデ。数日前までまったく雪が無かったというから不思議である。一部は人工雪らしい。/右:雲の切れ間から日差しがあり、猪苗代湖の湖面を照らしている。神秘的な瞬間。



ゲレンデに行ってみる。ファミリーユースがメインなのだろう、いい雰囲気である。リフトの順番待ちもなく、快適。ただ、やはり所々に地面が露出している。これは仕方ないか。ガツガツ滑る人には不向きかもしれない。

右は部屋の前(廊下の窓)から見下ろすゲレンデ。ここがメインであるが、この更に上に行くリフトがあって、そちらは中級&上級者向き。スノーボーダーも混じってはいるものの、それほど多くはなかったと思う。

夕刻、私は子ども達を連れてプール(スパ)へ。打たせ湯や、サウナやスチームサウナもあって、疲れが取れる。連日の飲み疲れだけど。(笑)

露天風呂もあって、猪苗代湖から吹き上がってくる氷点下の風を受けつつ熱い風呂に入るのは格別。一気に酔いもさめる。風呂にはかなり長いこと入った。すっかり日も落ちて暗くなっていた。

食事は7時から。一旦、部屋に戻る。



左:時々晴れ間も出てきたゲレンデ。/右:ここがスパ。中央がメインのプール。左側の少し暗くなっている辺りに、サウナなどの設備がある。いろいろなお風呂があって楽しい。



左:夕方になって空が徐々に晴れてくる。天気予報では明日は晴れ。初日の出が拝めそうだ。/右:前述の十二支の像がライトアップされている。



夕食はバイキング。何度も書くけれど、連日飲みすぎだったので、アルコールは控えた。お陰でたくさん食べられた。タラバ蟹と手巻き寿司(いずれももちろん食べ放題)には感動した。かなり食べすぎ。早々に部屋に戻り、テレビ三昧。私は「K−1ダイナマイト」。妻は紅白が観たいといって別室(義父母の部屋)に。こういうときには部屋が3つあると便利。子ども達もなにかまた別の番組を観たいといって、別室へ。(笑)

それにしても桜庭の負け方はショックだった。まあ、負けは負けだから素直に勝者を称えるべきなのだろう。須藤元気の引退も驚き。タレント活動でもするのか。曙は相変わらず弱い。そんなK-1の色々な試合の感慨に耽っていたら妻子が戻ってきて、一緒にNHKの「行く年来る年」を観る。大晦日をこんな風に過ごすのはなかなかいいもんだ。



2007年1月1日

この旅行に来る前には「初日の出を見る」ということを計画していなかった。前日、即ち大晦日の天気予報で元日の朝が「晴れ」だったので急遽、初日の出を見に行くことにする。妻子はあまり興味無さそうだし、一人で行くことにする。さて、どこに行こうか、ホテルの部屋にあった簡単な地図を見て、せっかくだから猪苗代湖の西岸に行って、猪苗代湖を前景にした朝日を撮りたいと思った。そこまでは頭で簡単に考えられることで、しかし、実際にどのポイントがいいのか、また道路状況にも不安なところがあった。

5時少し前に起床。まだまだ外は真っ暗。日の出は6時50分頃。この辺りは山があるので、1〜2分遅れるはずだ。約2時間近くも余裕があるが、早めに撮影ポイントを押さえておきたいので、5時10分頃には外に出た。クルマにエンジンをかけて、暖気する。フロントガラスががちがちに凍っていた。足元の雪も完全に凍っている。約15分くらい暖気とワイパーで視界を確保してから出発。

道はシャーベット状になったところが完全に凍っているので、慎重に走った。チェーンががっちりと路面を捉えている。ヘッドライトが照らす雪景色は怪しくそしてロマンチック。他に走っているクルマも少ないので、案外快適。なんとなく、二十年近く前に何度か雪山登山をしたときのことを思い浮かべていた。福島県といえば、冬の安達太郎山にも登ったことがあった。その話はまたいずれ。

東の空が赤くなってきたので、そろそろ撮影ポイントを決める。野口英世記念館を過ぎて低速で約10分くらい走ったところの蟹沢という辺りで、急に猪苗代湖に道が迫ってきたので、その辺りの良さそうな場所を探す。湖岸に吸い込まれるように坂を下る道があったので、そこにクルマを突っ込み、停車する。



6時17分。まだ日の出までは30分以上もある。大体このポイントで初日の出を拝めそうだ。待ち遠しい。気温は氷点下3度くらい。それほど寒く感じない。ただ、ホットコーヒーが欲しいところ。足元には20センチくらいの雪。表面は凍っているのだが、体重をかけるとずぼっと沈む。水面にたくさん泳いでいるのは白鳥である。白鳥も夜明けが待ち遠しいのかもしれない。

因みに三脚を使わないで撮影しているが、案外イケるのだ。



白鳥はこちらの気配を感じているのかどうか分からない。しかし、悠然と泳いでいる。子どももたくさんいる。幼稚園の先生が生徒を引率しているようで面白い。結構私の近くまで寄ってきては、そしてまた遠ざかってゆく。楽しそうにわいわい鳴きあっている。



左:6時45分。かなり明るくなってきた。白鳥の姿もシルエットではなく、ちゃんと白い羽の色が確認できる。/右:2007年の初日の出。ちょっと高めの山の上から出てきたので、7時2分くらいだった。



あけましておめでとうございます。2007年もよろしくお願い申し上げます。



左:蟹沢からの磐梯山。このページのトップの写真は野口英世記念館の近くからの磐梯山。/右:野口英世記念館の近くの雪原(おそらく雪の無いときは田んぼ?)から。

初日の出を見て、再びクルマに乗る。ホテルまでの帰り道。暗いときに走ったから来るときには分からなかった雪景色に思わず見とれてしまう。結構猪苗代町の市街地にはたくさんの雪があって改めて会津地方は雪国なんだな、と実感する。これで雪不足なんだから雪の多いときはどんな感じなんだろうと想像してみて、ここに住んでいる人々の大変さを垣間見たような気分になっていた。所詮単なる旅行者の無責任な「想い」なのだけれど。



左:猪苗代駅の近く。正面の民家だけに日が当たっている。/右:やはり駅近くのの交差点。正面方向に行くと裏磐梯方面。そのまままっすぐ行くと山形県の米沢の方面。



左:磐越西線。猪苗代と川桁の間くらい。/右:ホテルの部屋からの磐梯山。昨日は見えなかった。

ホテルに戻って朝食。昨夜に引き続き、再びバイキング。そんなに食べられないよ、と言いつつ、しっかり食べてしまった。



窓から磐越西線が走る様を眺められた。写真の中央がそれである。左の方向が川桁(かわげた)駅。もっと行くと、郡山方面。右の集落のあるもう少し先に猪苗代駅。更にその先をずっとゆくと会津若松である。



左:朝食の後の散歩。ホテルの全景。/右:ホテルの近くから見た磐梯山。



左:小野川湖や桧原湖などが源流で猪苗代湖に注ぐ長瀬川。上流方向を望む。/右:長瀬川に架かる西舘橋から見る磐梯山。



左:右上の写真とほぼ同じ位置から撮影した磐梯山の頂上付近。かなり迫力がある。/右:西舘橋のたもとの集落。



午前10時から子ども達のスキー。天気も上々。ゲレンデは昨日も書いたようにホテルのまん前にあるので、非常に便利。右の写真は義弟と一緒にリフトに乗る息子。色々面倒見てもらいました。有難う。



左:義妹の母子。彼はこの場所に昨年夏に来ている。/右:中央が私の息子。前後にサポーターを従え、初めてリフトで上まで行き、滑り降りてきたところ。やや緊張の面持ち。

私は約2時間ゲレンデで過ごすが、せっかくなので、この近辺の探索もしようと、息子を義弟夫婦や妻に預け一人、山を下った。すみませんねえ。で、ホテルの最寄り駅が川桁であることを知った。標識に従いクルマを進める。



磐越西線の川桁駅前。右の写真が駅舎である。無人駅。時刻表を見ると、だいたい1時間に1本のペースだ。



左:駅から望む川桁駅前の通り。/右:ホームには人の姿が無い。



川桁駅ホームからの磐梯山。凄い迫力だ。その偉大さに圧倒されずにはいられない。



左:長瀬川の支流。川桁駅近く。/右:雪を運ぶクルマ。元旦から大活躍。



左:磐梯山の右側に顔を覗かせる吾妻連峰。風格がある。/右:赤ベコのキャラクターをつけて走る磐越西線。白い雪の中をの赤い色は見事なコントラスト。



参考までに裏磐梯方向から眺める磐梯山。主峰の位置がもちろん反対になる。
写真提供:AKABEKO



左:川桁駅の隣駅、猪苗代駅まで行く。ホテル・リステル猪苗代の送迎バスが頻繁に発着していた。/右:駅前のロータリーにあったレリーフ。中央はお馴染みの野口英世博士。左はご母堂。右は恩師。



左:駅のロータリーに面するタクシー会社の建物の背後にそびえるのは磐梯山。/右:駅前ロータリー。中央に、「祝・野口英世博士肖像の新千円札発行」という立て看板。また、右のほうに「リステル」の緑色の看板が。



上左:猪苗代駅から北へ約1km。野口英世博士が幼少の頃遊んでいたという亀ヶ城の跡。正式名称は猪苗代城。その駐車場にクルマを停めたその直後に、ロンドンタクシーが停まった。/上右:タクシーの運転手さんは女性。そして2人のお客さんを案内して雪の道を登っていった。/右:鐘楼もあった。

猪苗代城は、街の中心部の小高い丘に築かれた平山城で南北250メートル、東西200メートル、比高差30メートルの規模をもつ。現在は、本丸・二の郭・帯郭・石垣・土塁・空堀が残り、保存状態が比較的良好である。構造は、丘の最上部の平坦地が本丸で周囲は土塁で囲まれており、その南側の一段下がったところが二の郭、さらに南に下ったところに南帯郭、本丸北と西の一段下った箇所に北帯郭と西帯郭がある。大手口は城の東麓部分で、ここには石垣を利用した巨大な枡形虎口が造られている。(WikiPediaより)

亀ヶ城跡に少しだけ立ち寄ってから、ホテルに戻る。子ども達はまだゲレンデにいた。その間にひと眠りしようと横になった。初日の出を見に行ったからか、眠い。テレビを観ながらごろごろしていたら子ども達が戻ってきた。そしてプールに行きたいと言う。散々ゲレンデで遊んでもまったく疲れていない様子だった。仕方無いので、昨日に続いてプールに行く。

プールも一時間以上遊んでいた。私もサウナに入ったり適当に時間をかけていたが、さすがに一時間は長すぎる。やはり子どもの体力は恐ろしいものだ。



ホテルの窓からは猪苗代湖の夕景。反対側にはライトアップされたゲレンデが。しかし、日中、日差しもあって暖かかったので、雪が溶けかけていた。



磐梯山の中腹のスキー場のゲレンデにも明かりが灯る。



夕食前、部屋の中でのんびりしつつ、ビールを飲む。眼下には例の十二支の像がライトアップされている。向こうには猪苗代湖。昨夜よりは空気が澄んでいるのではっきりと見える。右手のやや上のほうに光る集落は猪苗代町の明かりだ。磐越西線の猪苗代駅もその辺りにある。

元旦の夜の食事は和食のコースだった。



2007年1月2日

この旅の3日目。起床は7時。元旦の昨日が5時前だったから、今朝はずいぶんゆっくりという感じだった。しかし昨夜は、実は一旦寝てから午前2時に目が覚めて、それから風呂に行った。そんな出鱈目なことが出来るのも旅の楽しいところだ。

11時にチェックアウトだが、朝食後に、早めに荷物をまとめて少し早めに部屋を出た。クルマはそのままでホテルの庭で遊ぶ。ゲレンデだけじゃなくて、かなり広大な庭で面白い。夏はフィールドアスレチックや釣りもできたりするらしい。



ホテルのみやげものコーナー。赤ベコは人気。。会津塗りも人気らしい。



今日も天気はまずまず。



こんな深山の趣きのある場所もホテルの敷地内なのだ。



雪合戦もやった。

11時頃まで雪の中で遊び、それからクルマに乗り込む。目的地は喜多方である。最初、雪の会津若松の鶴ヶ城にしようか、それとも蔵の町の喜多方でラーメンを食べようか、迷ったのだが、なんとなくラーメンを食べたいという意見が多かったので、喜多方に行くことに決定する。私は猪苗代までだったら来たことが過去にはあるが、喜多方に行くのは初めてだ。

山沿いの道(磐梯山のふもと)を走る。走り始めは多少雪があったものの、少し行くと完全に雪が無くなった。もちろん周囲は雪なのだけれど、道路にはまったく雪が無い。しかも乾いている。こうなるとチェーンだと非常に走り難い。後続の義弟のクルマはスタッドレス。いいな。

結局、喜多方の少し手前の休業しているガスステーションでチェーンを外した。



喜多方はさすがにラーメン屋さんの多い街で、それだけに、どこでラーメンを食べたらいいのか非常に迷ってしまう。そこで、以前、裏磐梯のAKABEKOというホテルの関係者から教えてもらった老麺会のパンフレットからお店をチョイスすることにした。まずは、そのパンフを貰いに一旦駅へ。

駅にはちょうど赤ベコキャラの列車が到着したところだった。



左:まさしく蔵の形をしている喜多方の駅舎。たくさんの方々が出入りしていた。今や喜多方はラーメンによって全国に名の知られる街になった。/右:駅から至近にあるラーメン屋。ここも大盛況。



まるで蔵のようなでっかい客車を引っ張る馬。こんな重いものを引かなきゃならないなんて、可愛そうな感じもする。



左:老麺会のパンフの写真で選んだ店がここ。「大みなと味平」という。後で調べたら、老麺会のリーダーのお店だそうだ。/右:店の前はこんな感じ。田んぼが広がっている。遠くに見える山々は山形県との県境。昔で言えば、山の向こうは上杉藩である。

お店に到着したときもほぼ満員だったが、次々にクルマがやってくる。そして遂には駐車場が満杯になる。さすが人気店だ。

これが「大みなと味平」のラーメン。ラーメンは550円とリーズナブル。チャーシューもたくさん入っている。中央のナルトがご愛嬌。麺は太ちぢれ。もちもちしていて美味しい。熱々なので、はふはふしながら頂く。

スープはあっさり系。若干物足りなさを感じるくらいスマート。逆に言えば、じっくりスープの隠れた旨みを味わえる。
左の写真はラーメンの大盛り。

因みに我々一行は全て違うものを注文した。味見したところ、塩ラーメンがニンニクが効いていてまあ私の一番の好みかな。野菜ラーメンもおそらく野菜を炒めるときのニンニクが効いている。チャーシュー麺は、下が見えないくらいたっぷりチャーシューが入っている。

大みなと味平は、駅からは少々距離がある。駐車場があるからクルマでのほうがいいだろう。あるいは、馬車に揺られて行くというのも手かもしれない。近くには強力なライバル店の来夢がある。また、お土産用にオリジナル商品も置いてある。その名もずばり「味平」。

大みなと味平
福島県喜多方市関柴町上高額北町396−5 電話:0241-24-2990

さて、腹ごしらえをした後、せっかくだから蔵の街並みを見てゆこうと、クルマを走らせる。一旦駅方向に行き、すぐの交差点(国道121号の旧道)を米沢方向に700メートルくらい行ったところに蔵の街並みがあった。







蔵の街並みは融雪道路というのもあって道路そのものは雪が無い。屋根には雪で白くなっていて、それなりの趣があった。もう少し雪が降ったらもっと絵になってたかもしれない。雪にすっぽり覆われた蔵も見てみたいものだ。しかし、冬の喜多方に来る機会はそう滅多には無い。今度はいつ来れるだろうか。また来れたら、また違うラーメン屋さんにも入ってみたい。因みにこの近辺にラーメン店が何店舗か入った「ラーメン館」のような施設もあるらしい。

そこから進路を南に取る。国道121号線(バイパス)を会津若松方面に南下する。そして、磐越自動車道の会津若松から高速に乗り、一気に東北道へ。帰りもそれほど渋滞では無かった。一旦那須塩原SAで休憩。さっきまで、会津の雪景色にいたことが幻だったような気もする。SAえお出て、再びクルマを走らせる。車内では私と妻のラーメン談義。徐々に東京に近づくに従ってクルマは多くなってゆく。

来たときと同様、蓮田SAで再び休憩。軽く食事をして、そこで3家族が別々になる。蓮田から浦和料金所まではやや混んでいる箇所もあったものの、まずまず順調であった。ただ、首都高が混んでいる情報があったので、外環に逃げる。三郷南ICまで楽々走り、一般道へ。そして、松戸から市川に抜け、京葉道路で幕張に到着。案外早い帰宅だった。

2007/1/3 Zaki




Zaki(ザキ)

幕張ベイタウン在住の中年男。
70年代のロックが好きで、へたくそながらベースギターなんぞを鳴らしながら唸っている。さながら浪曲のようでもある。長期に渡る旅行よりも、いわゆる気軽な小旅行を好む。その他、釣りやキャンプも好きなアウトドア派。最近忙殺されていて、気ままにぶらっと旅行が出来ないのが悩み。(2007.1.3)
 


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