富士山までのツーリング
宝永火口を見る

富士山の東側に、かなりでかい穴が明いているのをご存知でしょうか。
しかも、そこまで行って、眺めたことがありますでしょうか。


Wikipediaより

写真:
富士山東麓の裾野市から見た宝永山と宝永第一火口
宝永大噴火(ほうえいだいふんか)とは江戸時代1707年宝永4年)12月に富士山噴火した事件。平安時代に起きた2回の大きな噴火(延暦の大噴火、貞観の大噴火)とあわせて歴史時代の富士山三大噴火と称される。
宝永大噴火の特徴は大量の火山灰で、100km離れた江戸まで火山灰が積もったが、溶岩の流下は無かった。この噴火の噴出物量は8億m3と見積もられている。噴火は富士山の東南斜面で起こり、3つの火口が形成された。上から順に第一、第二、第三宝永火口が重なり合って並んでいるが、第一火口が最も大きいため麓から見ると第一火口のみ目立つ。この時以後富士山は噴火していない。


9月26日。久々に晴れた日曜。天気はいいし、暇だし、そして、このところ連日雨ばかり降っていたので、バイクに乗りたくて、乗りたくて、仕方無かった。バイクはまだ2ヶ月しか経っていない新車。よし、秋の富士を眺めに行こう。急に思い立ち、早朝からばたばたと準備をする。

大きなバッグにカメラの機材入れて、荷台に括り付ける。素晴らしい秋晴れ。半袖でも寒くない。世田谷の自宅を出発したのは、9時。約80km/h平均で246号を走った。単独のツーリングもなかなかいい。途中での一服もうまい。松田辺りで富士がきれいに大きく見えた。山梨側は晴れていて、静岡側はどんどん雲が湧いてきていた。段々雲が富士の山頂を隠すようになってきた。

御殿場に到着。さほど渋滞も無く、すんなりと来てしまった。東京を9時に出発して、11時半。途中1回タバコを吸っただけの休憩。バイクだとクルマの3分の2くらいの時間で来てしまうのだ。バイクを降りて、大きくそびえる富士をひらすら眺める。頂上が見え隠れしている。ただ、ぼうっとして見ているだけでも楽しい。なんでこんなにでかいのだろうと改めて思う。そして、富士が誕生した太古へ少しだけ思いを馳せてみる。

まだ午前中だし、新五合目まで行ってみようと決意する。富士吉田口からは何度か登ったことがあるが、御殿場口からは初めてである。マシンのエンジンは極めて絶好調。きつい坂もなんなくこなしてしまう。料金所の辺りから上は、視界が20〜30m位の濃霧になる。ヘッドライトを点しての走行になる。雨は降っていなかったが、念のため雨具をつける。

まったく視界の利かない道を上へ上へと走る。幻想的だ。他に走っている車も殆どない。さすがに気温は低い。暫く走り、4合目辺りで霧が晴れた。と、そのとき、正面に偉大なまでの頂が姿を現した。なんと素晴らしい景観であろう。まだ雪を抱いていない富士は、地肌を荒々しく露出していた。

剣が峰には白い気象庁の測候所のレーダーが見える。意外に近くに見える。なんと雄大なのだろう。バイクを道筋に止め、暫く見とれていた。望遠レンズを付けたカメラを望遠鏡代わりにして、頂上近辺を眺めた。なんとなく、幸せな気分になった。再び走り出し、5合目に到着。ヘルメットを取ると、たちまち耳が冷たくなる。風が強い。足元を雲が速く流れている。

売店の地下の食堂でそばを食べて、暖まったところで、せっかく来たのだからと欲を出して、宝永火山の噴火口も見てゆこうと思った。火山礫の登りにくい道をバイクのブーツは歩き難い。こんなことならスニーカーだとか、トレッキングシューズを持ってくりゃよかった。

大きな岩の上に腰を下ろし、一休みしていると、私より十歳くらい年上の、ごっつい感じの人が登ってきて、私に挨拶した。山に行くと、こういう挨拶というのは常識であるが、人がそれほどいなかったので、今日初めての挨拶である。ふもとから見ると富士は雨が降っているように見えるので、人が少ないのかもしれない。その人の肩にはキャノンがぶら下がっていた。私は、写真が好きなのかと尋ねたら、その方面の仕事なのだと言う。彼も一人旅だった。

それじゃ、一緒に行きましょうと私が誘う。初対面とは思えない気さくな感じがしたので、ついそういうことになった。二人は旧友のように笑い話をしながら、一緒に登山道を歩いた。私から誘っておいて、バイク用のブーツを履いていたので、逆に迷惑を掛けてしまった。汗が吹き出るが、気温が低いので助かる。

その人は山登りの話やカメラの話、各地を旅行をして歩いたことなど、話題が豊富だった。富士山のふもとの三島市に住んでいるという。富士山好きの私にはとても羨ましい話だ。私が東京の世田谷に住んでいると話すは、彼は、「物価が高くてたいへんでしょう。」と言った。根っからのアウトドアマン。東京では暮らせないタイプのようだ。

我々の歩く50mくらい先にトライアル用のバイク3台が行く。スピードは人が歩くような速さだが、非常に急な斜面を見事にクリアしてゆく。でかい岩がごろごろしているのを全くもろともしない。不思議な人もいるもんだ。かなりの腕前であることは確か。なにしろ人が歩くのがやっとという道をバイクで走れるのだから。
(本当はこういう道をバイクで走ってはいけないのかもしれないが・・・)

我々2人は、息を切らせながらやっと宝永火山の噴火口に辿りついた。いや、凄いでかさ。そりゃそうだ。かなり遠くからでもぼこっと穴の明いているのが見えるくらいだ。噴火口は富士のどてっ腹に、でかい隕石が落ちたようにすり鉢状になった噴火口である。

バイクの3人組はそのとき記念写真を撮っていた。私と一緒に登ってきた人と、何かのきっかけでその3人組と打ち解けて、この荒涼たる火山の上で話に花が咲いた。いいね、こういうの。最後は記念写真の撮り合い。とてもいい感じの人達。私より少し年上のスポーツマンのお兄さんというところ。ひとまず五合目に戻り、コーヒーを飲みながら談笑。

バイクの3人組は伊勢原市から来ている。そして、私の相棒(相棒と呼ぶにはちょっと新し過ぎる)が、三島市から、そして私が東京からと、全然見知らぬ同士がこうやって愉快に話しをしているのが不思議だった。ずっと前からの友達であったかのように、冗談もぽんぽんと飛び交い、あっと言う間に夕刻となった。最後は全員で並んで記念撮影。雄大な富士をバックに。もちろん、3台のバイクも一緒にである。

別れる時にバイクの彼らの一人が私にちょっとした曲芸を見せてくれた。ウィリーの逆である。ジャックナイフを呼ばれる技。やや加速をして、いきなりブレーキをかけ、全体重をバランスを取りながらフロントにかける。すると、後輪が持ち上がり、前輪で倒立をしているようになる。ウィリーよりも難しい技だ。

御殿場に降り、振り返ると、富士が傾きかけた淡い太陽にシルエットになっていた。3台のトライアルタイプのバイクはまだスカイライン(当時は有料道路)を走っているのだろう。私は、再び246号を東京に向けて走り出した。

2007/9/6 Zaki
(1982/9/26 ツーリング日記より)


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